2018年4月26日木曜日

伊能図のレプリカ

先日、伊能忠敬没後200年の記事をUPしましたが、
社長はこのところ空前の(?)伊能ブームが来ているご様子で( *´艸`)

長崎県平戸市の松浦史料博物館で
4月1日から6月30日まで催されている

伊能忠敬没後200年記念企画展
「伊能忠敬と平戸藩」



この企画展限定・数量限定で販売されている

「伊能図のレプリカが欲しい!」

と言って、お取り寄せ。


会議室に飾られました☆


詳細に正確な地形が描かれており、
絵として見ても美しいです。

2018年4月11日水曜日

伊能忠敬 没後200年

今年、平成30年は伊能忠敬没後200年の節目の年です。


伊能忠敬と言えば、江戸時代に17年をかけて日本全国を測量し、
当時としては世界でも稀にみる高精度の日本地図を作製した
私たちの偉大な先人であります。


↑先日社長が北九州市に立ち寄った時に撮った、
「伊能忠敬 測量200年記念碑」
ここ小倉城下の常盤橋は九州伊能測量の始発点です。

伊能忠敬は50歳で家督を長男に譲り、
天文・暦歴を学び、55歳の時に江戸から測量を始め、
九州の測量を始めた時すでに64歳だったそうです。

忠敬が称えられるのは、日本地図作製という偉業を成し遂げたのが、
現役引退後の第二の人生の事だったからという理由もあります。

Wikipediaで忠敬の生い立ちを読むと、
大河ドラマになるんじゃないの?!ヽ(゚Д゚;)ノ!!
というような人生が垣間見れます。

6歳で母親を亡くした後継母とそりが合わず
親戚の家を転々としていた幼少期。

やがて酒造業を営む伊能家へ17歳で婿入りし、
決して順風満帆ではない家業を切り盛りすることとなります。
しかもこの時結婚した最初の妻は21歳で
前夫との間の3歳になる子どもがいたとか。
その後内縁も含め3人の妻に先立たれます。

これだけでもドラマだけど、時代が時代なだけに
他にも大河ドラマの脚本になりそうなネタ満載!
新たに出店した店を火事で無くしたり、
本人も病気で寝込んだ時期があったり、
租税の取り立てに苦労したり。

伊能忠敬=測量
とたいがいの人は認識していると思いますが、
それは後半生のことで、それまでは商人なんですね。

50歳で天文・暦歴を学ぶために19歳年下の師匠に弟子入り。
その後55歳から自らの弟子と共に測量を始めて
「大日本沿海輿地全図」が完成するまでの後半生は、
ひたむきでこの上なく熱心な勉強家であったことがよくわかります。


そして今年は没後200年の節目の年であることから、
各地で様々なイベントも予想されます。
会社としても、何かこのような催しと関わっていきたいと考えています。

2018年4月2日月曜日

平成30年度が始まりました!


この週末は天気も良く絶好のお花見日和でしたね!
上村技研でも会社近隣の公園でお花見をしました^^



さて、平成30年度の始まりにあたり、社長より辞令交付がありました。